読書メモ

服のしごとしてたときは、
雑誌もなにも買わない、仕事してるのに服への関心が薄く、
関心があるのは技術面だけで、むしろ冷めていました。

やがて業界に嫌気がさし、転職をきめました。
東日本大震災でアパレル業界は大きな不況に見舞われました。
多くの縫製工場が被災し、物理的にも打撃を受けましたが、
そこへの援助の手はもちろん及びません。
不可解な自粛の空気、そういうときこそファッションにできることもあったと思います。
工場長の自殺というニュースも、複数入りました。


服飾業界って、ほんとうに技術屋への待遇が低いです。
おそらく、それはアパレルに限らず、
それがいまの、海外一辺倒の日本の状況を作ってしまったのでしょう。
資本主義のなか、消費者の求めることを追求した結果です。
なので、私含め、部外者はだれもいないと思います。

メイドインジャパンの気運が上がってきていますが、
いちど技術が廃れはじめると、復興はとっても困難です。
なんでも壊すのは簡単、直すのは大変。


やめてみて、離れてみて、服がきらいなわけではなかったようで。
テキスタイル業界も長いこと苦しい空気が続いていますが、
まだ、ギリギリ、どうにかなるかな、なってほしい。
ハンドメイドを楽しむひとが増えたというのは、とてもすてきなことだと思います。




服に限らず、おもしろかった本をすこしずつ自分用にメモにのこします。
少々長いです、関心のある方は読んで下さればと思います。



『おうちのふく』
 行司 千恵

生産者の顔が見える商品に、光があたってきました。
だれが、どうやって、どれほどの時間をついやして、どんなきもちで作ったか。
それを知っているものって、大事にしたくなります。
野菜なら、つかうたびに、そのひとの顔が浮かんで、
こうして使おう、あら、おいしかった。
こんど会ったらおいしかったって伝えよう!

服も、そうあったらうれしい。
こわれても、作ったひとなら治せるかも。
治せなくても、違うかたちに変えられる。
また作ってもらっていい??って、たのめる。

服って、そんなに枚数ひつようないと思うんです、実際は。
いままでと同じお金を使うなら、半分に減らして1枚に倍の金額を使えばいい。
つくる時間があるひとはいいけど、そうじゃないひともたくさんいる。
作るひとは必要です。
そして、お金を払うということは、
それに関わるひとたちの生活を支えるという行為。
自分の使えない時間を使ってくれるひとへの、お礼。
そして、関わるひとが少ないほど、実費と支払額の差もちいさくなります。
小さく巡る経済って、無限に広がります。

行司さんに服を縫ってもらったひとたちは、みんな喜んでいます。
毎日身につけなければいけない衣服、
作るひとも、着るひとも、嬉しいのが、いい。
ファッションは、平和であるべきと思うのです。
そして、ちょっとニヤッとするような、くだらなさがあったらたのしい。





『シェルターからコックピットへ 飛び立つスキマの設計学』
 椿 昇

まだ途中なのですが、私は涙がでてしまいました。
この本は、育児書としても充分な内容です。

許されること、許すこと。
こどもを持ってから、個人的なことですが、自分のおおきな闇にぶち当たりました。
それは今も解決していないし、たぶん、解決しないのですが、
自分を許せないと、他人も許すことは出来ないんだとわかりました。
そして、許すためには、許される経験が必要。
その経験が積めていないと、許すって、すごくたいへんです。

長い時間を費やした学校生活において、
教員との出会いはとても重要で、それは今になって実感します。
私はそういう教員との出会いはないに等しく、たったひとり思い出に残るひとがいます。
思い返せば、そのひともやっぱり、許すのがじょうずでした。
扱いにくい生徒だったらしく、なんどとなく保護者が呼ばれました。

そして、
教員以上に、もちろん重要なのは保護者です。
家族がじぶんの居所として揺らがなければ、そとで何があっても、
よほどのことでないかぎり、きっと大丈夫なのです。きっと。
大人になれば、居所が家族に限らず見つかるかもしれません。
でも、こどもにとっての居所になり得る場所は、家庭しかありません。

「なんでも許してたらただのワガママになるんちゃうん。」

だから、許すってむずかしい。
身をもって教わらないと身に付かないくらい。
だから、いまの育児環境ってすごく根深い闇が転がっていると思います。

あと、お金!!
お金のこと、知る機会すくなすぎ。
仕事とお金って、報酬として結びつく可能性が高いものだけど、
そのどちらについても、あまりにも教育がずさんだと思います。
生き死にに関わるのにね。

アートとお金の部分のことがとても明確ですばらしかったです。
目には見えない労力や、付加価値への貨幣の請求に対して、
無意識レベルの嫌悪感があるような、日本人。
私はお金だいすきなんですが、お金だいすきって言うとちょっと微妙な顔されます。
報酬がお金でなくてもいいと思うんですが、
現時点では、貨幣というものが最も信頼性と公共性が高い、というだけで。

自分に価値があると確信すること、
そしてそれをプレゼンテーションすること、
それに対して、報酬を設定し、請求すること、
これみんな、日本人の多くが苦手ですよね。私も漏れずです。
許されて、信じて、開く。
どんなことにも大なり小なり技術が必要で、でもそうであることを教えない。
というか、知らない。
無知は罪、それも一理と考えています。



posted by yoku-come at 15:51 | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする