いのちをかける

先々週、今日と、
活動家とも言える篤農家の人たちに話を聞く機会がありました。
50代から60代半ばの人たち。
私が行っている田んぼは、
農家さんの田んぼというのとも少し違う、
ある人の活動の1つとして20年以上前に始められた田んぼです。

その人が亡くなって10年目、偲ぶ会が執り行われました。
生きていれば70代半ば、
その人を忍んで何人もの農家さんが参加されました。


私が生まれるずっと前に、
ヘリコプターでの農薬散布が当たり前だった時代から、
奇人変人を見る目と向かい合いながら信念を貫いていた人たちは、
今も尚、さらに視野を広く、学び、走っていました。
食べるということは生きるということ。


「体を作る食べるものですから、
私たちはいのちをかけてやっています。
年寄りの私たちは、もはや何を食べてもいいんです。
あとに続く人たちに食べてほしくないものは作りたくないし、
せめて選べる状況にしてほしい。
若い人たちが生きる環境を残したいんです。」


本当の“いのちがけ”だと思いました。
たべものでの表現活動。
たべものでしか表現できないことがある人たちです。


やばいぞ、自分。
倍以上生きている目の前の人たちは、
私の足以上の速さでまだまだ進んでる。
同じ年になっても、きっと追いつけない。
穏やかな時間と心も大切だけど、
走らなきゃいけないときは走らないと。
でも、きちんと、周りを見渡しながら、冷静に。



無(厳密には違うけど)から有を生み出すことができるのは、
現実には農業生産だけだと思っています。
あらゆる生産活動を否定するとかそんなんじゃなく、
事実として、そう思っています。
何からも束縛されず生み出し、また還すことができる。

今は、まだ。


畜産家さんから見た口蹄疫と、その対処と実際の話は
ちょっと笑えない身震いが起きました。
書いたらウワーってくらい
始末に負えなくなるから書けないけど、
この先の自分の行動や選択は、
ほんとに責任を持って疑って考えないと、
この人たちのやってきたことを無駄にすると、思いました。

あと20年もしたら、戦争自体はおろか、
戦後の日本を知るこの人たちもほとんどいなくなってしまう。
聞きたくても、聞けなくなってしまう。



今の「有機よ!無農薬よ!安全よ!」なんてブームは
時間が経つにつれ説得力を増す技術・科学・経済論で簡単に消えてなくなる。
今の結果がわかるのは、ずーっとずーっと先のこと。
その前に霧散する。
「空」ということ。
繋がっているということ。
空から私のケツの穴、そこからずっとずっと無限に。




目の前の子供が、親の目を盗んで鼻くそを食っている。
ここにも循環が。
軽い苦味のある塩味がいいんだよね。


posted by yoku-come at 20:20 | Comment(2) | TrackBack(0) | たべもののこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする